感覚を共有すること
僕は昨年(2018年)の5〜6月頃より嗅覚がありません。
病院にも行きましたが、原因は不明でした。
検査の結果、匂いを感じる機能自体は生きているらしいのですが、においを感じることはほぼありません。たまにふっと何かがにおうことはありますが、一瞬です。
そんなこんなで一年近く経ちますが、その中で感じたことを書きます。
まず、感覚が共有できないことは孤独だということです。
「あぁ、良い匂い!」とか「クサイ!」ってことがわからないんです。みんなと感じることが共有できないんですよね。
臭いことがわからないのは良いんじゃ無いの?という意見もありますが、例えばガスが漏れているなどの危険を察知できない不安があります。嫌な匂いを感じないのは良いのかもしれませんが、趣味の釣りに行った時に海の潮風の香りが感じないのは寂しいです。サビキ釣りのエサの匂いが感じないのもちょっと寂しいです。
僕は一時期、燻製作りにハマっていましたが、今は全くする気が起こりません。
先日、お気に入りの燻製屋にお世話になっている方々を案内しましたが、その際にも「香りがわからないんだったら、こんな店に来ても楽しめないじゃ無いの?」と心配されました。その晩はお世話になった方々と飲み倒したので楽しい夜だったので最高だったのですが、その店の燻製は楽しめたのかというと、う〜ん、といった感じです。
感覚が共有できないことは、そういった寂しさがあります。
それがもしも視力や聴力に関することだったらどうなんだろうと考えるようになりました。
今年に所属した学年には弱視の子どもと、聴覚過敏の子どもがいます。その子どもたちへの支援に関しては、今後書いていこうと思います。
あと、これだけICTとか勉強してきたけど、嗅覚だけは全く支援方法がみつからないのも寂しいですね。